ヤミヤミ≒ヨマイヨマイ

このブログはわたしじゅんはじめが外界からの数多の刺激の中で妄想した事柄とか内なる衝動が生み出した邪なる創造の萌芽とかそういうなんだかよくわからないものを徒然なるままに日々雑記として書きつらねていこうと画策した上に設置されたものである・・・・・・・のかもしれないぞっと(^^ゞ

feiyu pocket 2

9月 10th, 2021 by PureJyam

以前、「DJI POCKET2」を扱ったことがあったが、こっちはまぁいわゆる類似製品ってやつだね。こっちも2ということで、やはり1もあったわけだけど、初代のDJI POCKTの画角が狭いこともあって、最初から広角で、かつ値段も安いということで、こっちを選ぶ人もわりといたようだ。
で、今回本家に引き続きこちらも後継機が出てきた。ただし、通常販売じゃなくてMakuakeというクラウドファンディングサイトでの数量限定販売になっている。多分この売れ行きを見たうえで通常販売に移行するのだろう。
広角をさらに強化し、カメラ部分を有線で取り外せるタイプを追加してきて、アクションカムっぽい使い方もできるようになった。
でも、どうなんだろうなぁ。やはり出回ってから評価を確認しないとなんとも言えん感じだね。DJIよりは安いといえば安いけど、そんなに極端に変わるわけでもないしね。それなら本家の方がいいかという気もしないではない。

DJI POCKETと言えば、先日見た「ドロステのはてで僕ら」ではなんと全編をDJI POCKETで撮影しているようだ。メイキングを見たときにそれっぽいのを使ってるなとは思ったのだが、一部のシーンだけかと思っていたら全部をDJIで撮ってるらしい。一応劇場公開までされた作品で問題なく使えているってことは性能的には悪くないのだろうな。
感想を書いたときに、長回しを多用と書いているが、実際には全編1カットの映画だった。もっとも1カットと言っても、途中でいい感じにカットする疑似1カットというやつみたいだけどね。ただこれって作る労力のわりに見ている方は気づきにくいんだよねー。長回しは個人的にも好きな撮り方なんだけど、見ている側だともう一度見直してみて初めて、ああカット入ってないんだなと気づくみたないことの方が多い。特に疑似1カットだと、ここで切れるなという部分が必ずあるので、そこでカットされたと無意識に感じてしまうせいもあるかもしれない。
あとこのあとに続けて「サマータイムマシンブルース」をみたときに、映画っぽいと強く感じたのは、「ドロステ・・」が1カット撮りのために、映画というよりは演劇に近い印象を受けていたせいなのだと思った。冒頭を見直してみたら、役者の動きとかセリフ回しとかが演劇っぽいんだよね。作り手がもともと演劇の人間だからというのもあるだろうね。

それにしても、DJI POCKETで撮影したものが映画館の巨大スクリーンの投影にも耐えうるというのはすごいなぁ。「シン・ゴジラ」でも一部はiPhoneで撮影したものがあるということだったので、最近の機材であれば全然問題ないのかな。映画的絵作りというのにこだわる必要はないのかもしれない。

Posted in 小物, 映像制作, 映画

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