ヤミヤミ≒ヨマイヨマイ

このブログはわたしじゅんはじめが外界からの数多の刺激の中で妄想した事柄とか内なる衝動が生み出した邪なる創造の萌芽とかそういうなんだかよくわからないものを徒然なるままに日々雑記として書きつらねていこうと画策した上に設置されたものである・・・・・・・のかもしれないぞっと(^^ゞ

Bose QuietComfort Earbuds

10月 10th, 2024 by PureJyam

今まで使っていたSONYのWF-1000Xを買ったのが2017年の10月だったので、丁度6年ぶりの買い替えである。当時は完全ワイアレスイヤホンもまだ出始めの時期で、ノイズキャンセリングの機能が付いていたのはこのWF-1000Xくらいなものだった。まぁノイキャン付きのものが出るのを待っていたので飛びついたわけだが、6年もよく使ったものだ。ただ最近そのノイキャンの効きがどうも怪しくなってきていた。主にバスの中で使うケースが多いのだが、どうも以前ほどエンジン音を消してくれてないような気がするんだよね。元々それほど強力なノイズキャンセリングではなかったので、気のせいと言われればそうなのかもしれないが、どうも気になることが多くなってきていたので、やはりそろそろ買い替え時なのかなと。
順当にいけば、買い替え対象は後継機種であるWF-1000XM5になるわけだが、結局ずっと気になっていたBOSEの新機種にしてしまった。

BOSEも2017年には完全ワイアレスのイヤホンを発売していたものの、その時点ではまだノイズキャンセリング機能はなかった。BOSEがノイキャン付きを出したのは、SONYがWF-1000XM3を出していた2020年になってからだ。そのころからずっと気にはなっていたのだよねぇ。やはり何と言ってもBOSEのイヤホンということで、一度使ってみたかったのだ。
で、先月BOSEが完全ワイアレスイヤホンの新機種を出すというのを聞いて、買い替えようかどうしようか迷っていたタイミングだったため、ついついぽちっと予約してしまったわけだ。
去年出した「QuietComfort Ultra Earbuds」というやつの廉価版的な位置づけらしく、値段もそんなに高くなかったのだよね。空間オーディオとかの機能がなくなっているらしいのだが、そんなのなくても問題ないし。

実際使ってみて、BOSEはどうたったかというと、やはり巷でBOSEと言えば低音とまで言われているように低音の鳴りが強い。小さいイヤホンなのにもかかわらずちゃんとこういう低音が響くのはさすがである。あと、WF-1000Xと比べて音がクリアである。というよりもこれはもしかするとWF-1000Xの劣化のせいかもしれないのだが、聞き比べるとWF-1000Xの音はけっこうこもって聞えるんだよね。今まで気が付かなかったのだけど、比べてみると明らかにベールが被っているかのようにこもって聞こえる。まぁなんせ6年前の機種だからねぇ。やはり買い替えてよかった。
もちろんノイズキャンセリングの効きも段違いによくて、換気扇のすぐ横で使うとWF-1000Xはそこそこ聞えるのに比べQuietComfort Earbudsは、全く聞えない。まぁノイズキャンセリングなんだから当然ちゃあ当然なのだけと、ここまで違うものかと驚いた。とはいえそれはBOSEがすごいというよりかは、6年の技術の進歩かあるいは6年間の劣化の果ての結果なので、多分WF-1000XM5と比べたら同じくらいなのかもしれんけどね。

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ストレンジャー・ザン・パラダイス

10月 8th, 2024 by PureJyam

「ストレンジャー・ザン・パラダイス」 1984
監督・脚本ジム・ジャームッシュ、 主演ジョン・ルーリー。ジャンルはどうにもよくわからない。コメディか青春物かロードムービーか。
公開当時話題になったので、タイトルだけは知っていたが、なんかおしゃれな映画みたいなイメージだけで、内容までは全然知らなかった。
ニューヨークに住むウィリーは故郷のブタペストからやってきた従妹のエヴァをいっとき預かることになる。1年後、彼と友人のエディはクリーブランドに行ったエヴァと再会し、フロリダを目指す。
ストーリーはほんとにこんな感じで、特にドラマティックな展開はない。淡々と3人の行動を追うだけだ。ただ3人のキャラ付けははっきりしており、ロベール・ブレッソン監督の作品のようにストーリーはドラマティックなのに、役者が無表情だというのと真逆な印象である。
音楽はミュージシャンでもある主演のジョン・ルーリーが担当しているが、主題曲として、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズの「I Put a Spell on You」を使用しており、この曲がなんともかっこいい。
全編モノクロでほぼ固定カメラでのワンシーンワンカットで撮られていて、かつシーンの繋ぎに必ず入る暗転がなんとも言えない絶妙な間を作って味わいを出している。退屈するかしないかの微妙なラインではあるのだが、この味わい深さが結構よい。
モノクロであるせいか、ニューヨーク、クリーブランド、フロリダのどこへ行っても曇っている同じような雰囲気で描かれる。クリーブランドはわからないが、ニューヨークもフロリダもそれらしく描かれないのだよね。もっともそれが意図されたものなのか、単にこちらの土地勘のなさからくるものなかはわからない。
インディーズということで、登場人物も場所も少なくいかにも予算なさそうなのだが、チープな感じがしないのは監督の才能ゆえか。

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10月 5th, 2024 by PureJyam

「首」1968
今、映画で「首」というと、北野武監督の方を思い浮かべてしまうのだが、これは1968年公開の全然違うもの。去年ようやくDVD化された。
監督森谷司郎、脚本橋本忍、主演小林桂樹の社会派ドラマ。昭和19年、戦争のさなか茨城県の炭鉱の村の留置場で死んだ男の死因は脳溢血かそれとも警官による暴行か。弁護士の正木は司法解剖を求めるが・・・
事前情報を入れずに見たが、どうやら事実をベースにした物語らしい。原作は正木弁護士自身が書いたものである。
小林桂樹がやはりよい。序盤の事件を軽く扱う感じから、徐々にのめりこんでゆく変化の演技がすごいね。小林桂樹は、この5年後にも森谷監督と「日本沈没」を撮っているが、そこでの田所博士もこんな感じの印象だった気がする。
1968年当時は既にカラーのシネマスコープで撮るのが一般的だったが、今作はモノクロのスタンダードサイズで撮られている。それについて言及されたものは見つけられなかったが、恐らく監督の意向なのだろう。描かれた時代と内容からして、確かにこの方が効果的に思われる。
事実ベースの社会派ストーリーなのだが、終盤の緊張感は安っぽいサスペンス物をはるかに超えるもので、脚本と演出のうまさが光る。森谷監督は53歳という若さで亡くなったが、本当に残念だ。

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マッドマックス:フュリオサ

10月 2nd, 2024 by PureJyam

映画館に行こうかどうしようか迷ったが結局いかなかったやつ。5月に公開したばかりのわりにかなり早いBD化である。

「マッドマックス:フュリオサ」2024
監督はジョージ・ミラー。主演はアニャ・テイラー=ジョイ。「マッドマックス 怒りのデスロード」でほぼ主人公だった大隊長フュリオサの少女時代から本編に至るまでの物語を描くスピンオフである。
奇跡的に残っていた豊穣な緑の地で暮らしていたフュリオサは、ある日ならず者に囚われてしまう。母はそれを追うのだが・・・
本編は、数日間の追いつ追われつをスピーディに描いていたが、今作は10数年に渡る物語ということで、5章の章立てで描かれており、雰囲気は大分違う。アクションは本編以上に派手で面白いが、個人的には章の繋ぎがどうもしっくりこなくて、本編ほどのめり込めなかった。
フュリオサ役のアニャ・テイラー=ジョイは前に見た「ラストナイト・イン・ソーホー」にも出ていたが、相変わらずの美人である。本編のシャーリーズ・セロンとは大分系統の違う顔立ちではあるもののぎょろりとした目の眼力が強いので、フュリオサには合っている気がする。
本編でイモータン・ジョー役だったヒュー・キース・バーンは2020年に亡くなっているため、今作ではラッキー・ヒュームという人に変わっているが、そもそもイモータン・ジョーはごっついマスクで口元を覆っているので、変わったことすら気づかなかった。息子役だった小人の人も2018年に亡くなってたらしく、恐らく代役もかなわなったのだろう今作には登場しない。
ストーリー自体は単純ではあるが、本編において、かつての緑の地にたどり着いたフュリオサの慟哭がいかに深いものだったのかということが、今作を見ると痛いほどわかる。もう一度本編の方を見たくなった。というか「マッドマックス 怒りのデスロード」がもう9年前の映画だということに驚愕。

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ソラリス

9月 30th, 2024 by PureJyam

「ソラリス」 2002
スティーヴン・ソダーバーグ監督、ジョージ・クルーニー主演のSF。プロデューサーとしてジェームズ・キャメロンも名前を連ねている。
あまりヒットもしなかったし、評価も特にされていないせいか日本語版のブルーレイは出ておらず、DVDも2004年に出たきりで絶版らしくしょうがないので中古で買った。
あの「惑星ソラリス」のリメイクというわけではなく、原作「ソラリスの陽のもとに」の再映画化ということらしいが、同じ原作ということもあり、ストーリーも当然大体は同じである。
原作未読のため、原作との比較ができないのが残念だが、「惑星ソラリス」との比較で言うと、同じ原作を使っているのに、こうまで印象の違う映画ができるものなのだなという感想。なんで再映画化しようと思ったのか全く理解できないが、出来上がったものは単なるB級SFメロドラマであった。
監督のソダーバーグという人の作品は他には見たことないが、今作と同じくジョージ・クルーニーが主演した「オーシャンズ11」というヒット作を撮っている。
そのせいか見ていられないほどつまらないわけでは全然ないのだが、尺の短さもあって今一つ描写不足が目立つ。そのわりに過去回想が長い。どちらかというと、死んだはずの妻が現れる現在における主人公の心の動きの描写をやるべきだと思うのだが、そっちはなんかわりとテキトーで、すぐにコピー妻を受け入れてしまう。いや、もっと葛藤とかあるべきなんじゃないの?
それをやるとほぼ「惑星ソラリス」と同じになっちゃうので、あえて避けたのかもしれないが、結局劣化コピーにしかなってないのだよね。
「惑星ソラリス」でもタルコフスキー監督と喧嘩したスタニスワフ・レムは当然今作にも満足しなかったらしい。そういえば、以前見た「イカリエ-XB1」の原作もレムだったが、これに対してはどういう感想だったのだろうか。

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ゼルダの伝説 知恵のかりもの

9月 28th, 2024 by PureJyam

新作ゼルダがとうとう発売。今作はいわゆる2Dゼルダ系統のものである。2Dと言いながら表現が3Dなのはまぁ今風ではあるが、これはこれで味がある。
ゼルダの伝説といえば通常リンクが主人公だったわけだが、今作ではついにゼルダ姫が主人公となった。とはいえ基本的にはいつものゼルダであって、各種アイテムを駆使してフィールドのギミックを解いてゆくやつ。なのだが、この各種アイテムというのが曲者で、今作ではあらゆるものをアイテムとして利用可能だ。
ここは多分ティアキンのアイディアから来ているではと思うが、かなりの量のアイテムを記憶してそれを再生可能なので、ギミックの解き方も一つではなくいろんなやり方ができる。また一度に再生可能なアイテムの数が制限されるので、どのアイテムをどういう順番に再生するのかという選択もあって、なかなかに頭を使う。まぁよくできたゲームだ。さすが任天堂としか言いようがない。

「ホグワーツレガシー」はいい感じに先週くらいに終わって、グッドタイミングという感じ。プレイ時間は大体60時間くらい。メインストーリーもまぁ適度なボリュームでまとまりも悪くなかった。
ただまぁストーリーの中で闇の魔法はもう完全に禁忌な魔法扱いなのだが、ゲーム上は普通に習得できていくらでも使えてしまうのだよね。使うリスクが設定されているわけでもないし、使うことにデメリットがない。なので、なんちゅうか、メインストーリーとの温度差がすごいのが気にはなった。まぁゲームとしてはその方が面白いのでよいのだけどね。

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コップ・カー

9月 25th, 2024 by PureJyam

「コップ・カー」2015
ジョン・ワッツ監督、ケヴィン・ベーコン主演のサスペンスコメディ?
監督のジョン・ワッツは、2017年の「スパイダーマン・ホームカミング」からのスパイダーマン3部作を撮った人らしい。わたしは見てないけど。
家出した2人の小学生は、森で放置された保安官の車を発見する。2人は喜び勇んで車を乗り回すのだが、持ち主の保安官は悪徳保安官だった。
原題の「COP CAR」はまぁパトカーということなのだが、さすがに邦題を「パトカー」にするわけにもいかないのか、原題そのままである。
冒頭のシチュエーションを見る限り、どういう方向性でいくのか次第でホラーにもサスペンスにもコメディにもなりうるのだよね。ただ、登場人物が皆あまり賢くなさそうなので、わたしは勝手にコメディよりなのかなと思って見ていたのだが、作り手がそう思っていたのかどうかは不明。もしかすると普通にサスペンス物を作っていたのかもしれない。
悪くはないのだけど、どんなジャンルとして見てもちょっと中途半端な感じは否めない。車を盗むのが小学生なので、あまり話が広がっていかないのだよね。街中を走らせるわけにはいかないので、どうしても荒野の一本道を走るだけだし、当然カーチェイスができるわけでもないし、もちろん銃撃戦もできない、また持ち主の保安官との交渉ができるわけでもない。そこが作り手の狙いなのかもしれないが、この小学生に車を取られてしまうというシチュエーション自体があまり効果的に生かされてない気がする。だからと言って、これを中高生くらいにしてしまうと、結局普通のチェイス物みたいになってしまって、多分それは作り手は望んでいないのだろうなと。あまり知識のない小学生だからこそ成立しているストーリーではあるのだよね。
いっそ小学生たちは単に車を走らせているだけで、大人たちが勝手に右往左往して大騒ぎになって死人もたくさん出るのだが、小学生は車に飽きて何が起きているかも知らないまま車をまた放置して家に帰るみたいな方が面白かったのではとも思う。その方が後味もよくなるだろうし。

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ザ・ウォーカー

9月 23rd, 2024 by PureJyam

「ザ・ウォーカー」 2010
アルバート・ヒューズ、アレン・ヒューズ兄弟監督、デンゼル・ワシントン主演、他にゲイリー・オールドマンも出演するSFアクション。
以前見た「フロム・ヘル」と同じ監督である。というか「フロム・ヘル」がわりとよかったので、同監督の他作品も見て見たくなったので買ったのだけどね。
近未来、最終戦争後の荒れ果てた地を西を目指して歩き続けるイーライ。しかしイーライが大切に運ぶ一冊の本は途中の町のボスがずっと探し続けていたものだった。
原題は「The Book of Eli」で、作中の一番の重要な品である主人公の持つ本のことだが、邦題はまぁ「イーライの本」じゃさすがに何の映画だかわからないので、作中で旅する人を指す「ザ・ウォーカー」にしたのだろう。もっともこっちでもなんだかわからないけど、「歩く人」の方がイメージはしやすいかも。
世界設定はよくあるやつだし、主人公もよくわからないけどやたらと強いというよくある感じ。銃だけでなくマチェーテみたいなのを振り回すところがかっこよい。
監督は、「フロム・ヘル」では19世紀末のロンドンの雰囲気をいい感じに描写していたが、今作でも荒廃した世界をセンスよく描いている。全体的に彩度を落とした雰囲気がなかなかにおしゃれだし、アクションシーンの見せ方もうまい。
キーとなるイーライの本のアイディアもまぁ面白かった。町のボス役のゲイリー・オールドマンもいい味だしている。ただやはりありきたりすぎるのが残念なんだよなぁ。

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デビルズ・リジェクト マーダー・ライド・ショー2

9月 21st, 2024 by PureJyam

1作目と3作目はブルーレイが出ているのに、なぜか2作目だけ出ていないのでDVDを買った。

「デビルズ・リジェクト マーダー・ライド・ショー2」 2005
以前見た「マーダー・ライド・ショー」シリーズの2作目。監督はロブ・ゾンビ、主演はシェリ・ムーン・ゾンビ、ビル・モーズリー、シド・ヘイグ。順番を間違えて3作目の「スリー・フロム・ヘル」の方を先に見てしまっていたが、まぁ気にするほどのストーリーの連続性はないので問題はなさそう。
3作目を見たときに1作目に比べて大分普通の映画になっていて、16年間の経験のせいかとも思ったのだが、既に2作目で普通の映画になっている。まぁ内容は普通ではないのだけど、1作目と比べると2年で随分変わったものだ。
邦題がクソ長いが、原題は前半部分の「The Devil’s Rejects」だけである。後ろに余計な「マーダー・ライド・ショー2」を付けるくらいならいっそ前半はいらないし、原題尊重したいというのなら前半だけでいいだろと思うし、何を考えたらこうなるのかさっぱりわからない。
3作目で脱獄する殺人一家の兄妹たちが、捕まるまでのお話になる。ただ今作ではまだピエロ役のシド・ヘイグが健在で、やはりこの人がいるのといないのとでは大分印象が変わる。そう考えると3作目を作る必要があったのかどうかという疑問も浮かばなくもないが、あっちはあっちでまぁまぁ面白かったのでよしとしましょうか。
兄妹とピエロは無慈悲な殺人を行う狩る側の立場なはずなのだが、今作では警察側の保安官が闇落ちするという意外な展開で、狩られる側に回ってしまう構図が面白い。ラストはまるでアメリカンニューシネマみたいなシチュエーションで、なんか感動的に終わるのだが、いや、お前ら罪のない人たちにさんざんひどいことしてきた凶悪犯だよねとつっこみたくなる。

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リバー、流れないでよ

9月 19th, 2024 by PureJyam

ブルーレイが出ているのを見かけて買おうかどうしようか迷っていたら、はからずもケーブルテレビでの放映があったので、そっちで録画してしまった。

「リバー、流れないでよ」 2023
ヨーロッパ企画による長編映画第二弾である。前作「ドロステのはてで僕ら」から引き続き監督は山口惇太、脚本上田誠、主演は藤谷理子となっている。
京都・貴船にある旅館の従業員のミコトは、いつもと同じように働いている最中、どうやら時間が繰り返しているのではないかという違和感を憶える。そしてそれは彼女だけではなかった。
時間物SFには定評のある上田誠の脚本は本作でも冴えていて、2分間をループし続けるという設定なのだが、意識は継続しているという、シュタインズ・ゲートで言うと全員が岡部倫太郎のようにリーディング・シュタイナーを使えるような感じになっている。なので、話をしている最中にループしてしまうとお互いに場所は初期位置に戻るが、話の内容は憶えているのである。この設定がほんと秀逸で、これがあるために大体90分くらいの本編中このループを30回以上繰り返すのだが、ループしているにもかかわらず、全く先の展開が読めないのだ。普通、ループ物は主人公のみがループを認識していて、それを脱するために奮闘するみたいな展開が多いのだが、全員が認識することで、ループしているにもかかわらず話自体は連続している奇妙な状況を生み出しているのが素晴らしく面白い。伏線の張り方から登場人物の設定まで、とにかく脚本がうますぎる。
「ドロステのはてで僕らは」のときは、全編1カットという離れ業をやっていたが、今作ではループする2分間についてのみ1カットで撮られている。ただそれを毎回1カットで撮っているわけで、解説によるとその毎回を2分きっかりに演技を終わらせる必要があって大変だったということだが、まぁ大変だよね。

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